自由からの逃走

エーリッヒ・フロム

本記事では、社会心理学者エーリッヒ・フロム(1900-1980)の主著である『自由からの逃走』を解説します。

研究所の熱気と使命感

本書は1941年、第二次世界大戦の真っ只中に刊行されました。また、本書の序文では、フロムが理論の完全性を犠牲にしてでも本書の刊行を急いだことが述べられています。なぜ、フロムは理論をより完全なものとする前に、戦争中という激動の時代に本書を刊行することにしたのでしょうか。エーリッヒ・フロムについてで述べたように、1930年代ドイツ国民がファシズムへと傾倒し、自ら自由を放棄していく当時の社会情勢にフロムは強い危機感を感じていました。フロムが所属していた研究所の秘書は、当時の研究所内にみなぎっていた熱気を次のように語っています。

私たちはみんな、ヒトラーとファシズムを叩かねばならないという観念にいわばとりつかれていました。それでそれが私たちを結集させました。私たちはみんな使命を持っているんだと感じていました。秘書たちも研究所に来る人たちも、そこで働いている人たちもみなそうでした。この使命が私たちに忠誠と連帯の感情を与えました。

フロムは、人間の行動の非合理さを理解する上で役立つような事柄をすぐさま提供すべきという使命感に駆られていました。その使命感がフロムに本書の刊行を急がせたのです。

『自由からの逃走』はフロムの思想を象徴する名著として知られています。名著と呼ばれる所以は、ファシズムに人々が向かった理由を、ナチスに求めるのではなく、人間一般の行動原理の中に求めたところにあります。「なぜヒトラーのような独裁者が生まれ、ファシズム国家が生まれたのか」という問いを掘り下げていくと、結局は国民が自分達で望んで作り上げたものだったという結論に辿り着くわけです。つまり、フロムは当時の社会情勢を理解するために本書を執筆するに至ったのですが、その過程で人間一般が抱える普遍的心理的な問題が浮き彫りになりました。それが本書の主題——人間は自由の重みに耐えきれない——なのです。

第一次的絆からの分離

個人における第一次的絆からの分離

私たちは生まれると、母親の肉体から分離し独立します。しかしこの分離も最初はまだ完全なものではなく、幼児は機能的には依然として母親の一部分です。幼児は食物、肉体の移動、その他生命に関した重要な点で全て母親の世話を受けています。その後、子供が発育するにつれて子供は徐々に独立した存在となります。フロムは、このように個人が独立した存在になる前に繋がれていた絆を第一次的絆といい、この絆から次第に分離する過程を個性化といいました。第一次的絆が断ち切られるにつれて、子供の心に自由を欲し、独立を求める気持ちが生まれてきます。その結果、子供は肉体的にも精神的にも強くなり、意志と理性によって導かれる一つの構造、自我が発達してきます。しかし他方、自分は孤独であり、すべての他人から引き離された存在であることを自覚し、無力感と不安感を抱くようになります。子供はこの状態を克服するために、次の二つの方向性のいずれかへと向かうことになります。

  • 個性を投げ捨てて権威に服従する
    (その結果、自己の統一性が失われるので、不安感が増大し、敵意と反抗が生じる)
  • 愛情と生産的な仕事を通して、個性を放棄することなく外界に対する自発的な関係を結ぶ
    (この関係は、全人格の統一と力強さに基づく)

社会における第一次的絆からの分離

個性化の過程は一個人の歴史に見られるだけでなく、人間の系統発生の歴史にも見られます。すなわち、原始人は自然と緊密に結ばれ、自然の一部でした。彼らは住んでいる土地・太陽・星・月・木・花・動物と一体だと感じていましたし、血縁で結ばれた集団(氏族)と一体でした。原始宗教は人間が抱いたこのような一体感を示しています。これらの第一次的絆は、人間が孤独に落ちいるのを防ぎ、安定感を与えますが、他方では自由な自律的生産的な個人としての成長を妨げます。しかし、人間が第一次的絆を断ち切り、個性化を押し進め、自由になるにつれて、個人は孤独や不安や無力さに脅かされ、自由を耐え難い重荷と感じるようになります。このとき、このような自由から逃れ、不安から救い出してくれるような人間や外界に服従しようという強い衝動が生まれてくるのです。

フロムはこの点を具体的に歴史にあたって詳しく検討しました。歴史にあたって自己の理論の正当性を確認したことが、『自由からの逃走』の大きな特徴であり、また本書が長い間世界中で多くの人々に読み継がれてきた要因の一つといえるでしょう。フロムはまず中世の歴史を取り上げました。

中世社会の「自由」と「個人」

近代社会と比べて、中世社会を特徴づけるものは個人的自由の欠如です。中世の人は、一つの階級から他の階級へ移ることも一つの町から他の町へ移ることもほとんど不可能でした。僅かの例外を除いて、生まれた土地に一生踏みとどまらなければなりませんでした。また中世の人は生まれつき農民であり、職人であり、騎士であって、偶然そういう職業をもった人間と見られていませんでした。要するに、中世の人は、第一次的絆によって世界に固く結び付けられていたのです。中世社会において、個人の自覚がどれほど欠けていたかは、「ルネサンス」という言葉を広めたことで著名なスイスの歴史家ヤーコプ=ブルクハルトの、中世文化についての叙述のうちに表現されています。

中世においては人間の意識の両面——すなわち外に向かうものと内に向かうもの——は、なかば夢みながら、なかば目覚めながら、共同のヴェールのかげに隠されていた。そのヴェールは信仰や幻想や子供じみた好みで織られていた。そして世界や歴史は、そのヴェール越しに、奇妙な色彩を施されて眺められていた。人間はただ、民族、国民、団体、家族、あるいは組合などの成員としてのみ——すなわちある一般的なカテゴリーを通してのみ自己を意識していた。

このように中世には近代的な意味での自由はありませんでしたが、彼らは孤独でもなく孤立してもいませんでした。社会の秩序——それは自然の秩序とみられていましたが——の中で、はっきりした役割を果たせば、安定感と帰属感が得られました。

中世末期イタリアにおける自由の変化

しかし中世末期になると、社会構造が変化し始め、それにつれて人間のパーソナリティも変わってきます。これはまずイタリアで始まりました。イタリアで起こったことについては、多くの経済的政治的な原因があります。まずイタリアの地理的な位置、そしてそれから生ずる商業的な利益がありました。当時地中海はヨーロッパの重要な貿易ルートでした。また法皇と皇帝の争いの結果、多くの独立した政治的団体が生まれたこと、さらに東洋に近接していたことから、絹織物など、工業発達にとって重要な技術が、ヨーロッパの他の地方よりも前に、まずイタリアにもたらされたことなどがその原因です。

このような条件の結果、イタリアでは強力な有産階級が現れ、生まれや家柄より富が重要になりました。彼らは自らの経済活動と富によって、自由の感情と個人としての自覚を持ち始めます。このように中世的社会機構が次第に崩壊した結果、近代的な意味での個人が出現しました。このことに関して、ブルックハルトは次のように述べています。

イタリアにおいてまず最初に、(信仰と幻想と子供じみた好みとから織られた)このヴェールが消えていった。国家やその他この世のことすべてのことを、客観的に取り扱い、考察することが可能になった。同時に主観的な面も、それにつれて強調されるようになった。すなわち人間は精神的な意味で個人となり、自分自身もそのように自覚した

すなわち、第一次的絆から個人が脱出し、自己や他人を個人として分離した存在として認識し、また自然を自分から分離したものとして、つまり征服すべきものか、その美しさを享楽すべき対象として認識するようになりました。

個人主義と、力と富への飽くなき欲望が伸長するにつれて、中世社会が与えていた安定感と帰属感は失われていきました。同僚との関わりは冷淡な空々しい態度に変わり、他人は単に利用し操るべき「物」と化し、人々は孤独に、不安になり、人生の意味は疑わしくなりました。これを癒すために名誉を求める激しい願望が生じました

それは有限な不安定な個人の生命を不滅の世界へ高める。その時代の人々に名前が知られ、それが数世紀にわたって語り伝えられると期待できるならば、その人間の生涯は、他人の判断の中にまさにある反響をもたらすことによって、初めて意味と価値とを獲得する。

『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、p.59

しかし、人生の意味に関する疑惑を沈黙させるためのこの方法は、名声を獲得する手段を持っている階層にだけ許され、無力な大衆に可能な方法ではありませんでした。

中央ヨーロッパにおける自由の変化

以上は中世のイタリアについてですが、中央ヨーロッパではどうだったのでしょうか。中世社会では、職人はギルド(同業組合)に結ばれていました。ギルドの成員は、良い椅子や靴やパンや鞄などを作れば、社会的地位に対し伝統的に定められた生活水準を保つことができました。ギルドは成員間の激しい競争を禁止し、原料の仕入れ、生産技術、製品の価格についてお互いに協調することを命じました。しかし、この状態は中世末期になると完全に崩壊します。ギルドの成員の中に独占的な地位を利用してあらゆる利益をむさぼる者が現れるのと同時に、多くの成員は貧困になり、経済的な独立と安定を失っていきました。ギルドがますます独占的排他的な性格を帯びるにつれ、職人に与えられた機会は少なくなっていき、彼らの不満は増大していきました

同業組合の資本主義的発達についてこれまで述べたことは、商業についてはよりいっそう明らかです。中世の商業は主として都市と都市との間だけの小さなものでしたが、15世紀になると国際的な商業が発達し、大きな商事会社が現れ、市場に独占の傾向が生じてきました。その独占は、優越した資本の力によって、小規模な商人や消費者に大きな脅威を与えることになります。独占に対する小商人の憤懣を、ルターは1524年に刊行した『商業と高利貸しについて』というパンフレットの中で雄弁に語っています。

彼らはあらゆる商品をその支配のもとにおき、あらゆる企みを公然と使用し、意のままに価格を上げたり下げたりして、小さな商人たちを、かますが小さな魚を虐めるように、ことごとく圧迫し破滅させている。あたかも彼らは、神の創りたもうた創造物の上に降臨し、あらゆる信仰や愛の法則から全く自由であるかのように振る舞っている。

また鉱山ギルドの成員も中世では自分のした仕事に応じた分け前をもらいましたが、15世紀には分け前の多くは自分で働かない資本家のものとなりました。農民の状態もこれと変わりはありませんでした。16世紀初頭には自分で耕す土地を持った独立した農民はわずかしかおらず、他は税金や夫役の重圧に打ちひしがれた奴隷の状態にありました

資本主義が発展するにつれて、心理的雰囲気にも著しい変化が生じ、不安な落ち着かない気分が生活を覆うようになります。時間観念が発達し、一分一分が価値あるものになりました。このことをよく表しているのが、ニュールンベルクの時計が15分ごとに鐘を打つようになったことだといえるでしょう。能率という観念が最も高い道徳的な価値の一つと考えられるようになり、同時に富と物質的な成功を求める欲望が人々の心を奪う情熱となりました

また資本が決定的に重要になったことは、経済や人間の運命が超人間的な力によって決定されるということを意味しました。イギリスの経済史家トーニーがいったように、資本は召使いであることをやめて主人となったのです。市場の時代は、人間の努力の生産物を審判する時代となりました。

この事情の中でもう一つ重要なのは、社会において競争の役割が増大したことです。資本主義が発達するとともに、誰もが自らの力で人生を切り開いていかなければならなくなりました。他人は協同の仕事を一緒にやる仲間ではなく、競争の相手となりました。

宗教改革に必要であった心理的な基盤の完成

15,6世紀の社会的・経済的変化によって個人は政治的・経済的な束縛から自由になり、富を手にすることも、個人的創意を発揮することもできるようになりました。しかし同時に、かつての安定感と帰属感を与えていた絆から切り離されることになりました。資本を持たない大部分の中産階級・職人・労働者は、資本主義経済の発展によって、ますます搾取され、ますます貧困になりました。彼らは封建的な束縛からは自由になりましたが、彼らの力では強力で超人間的な資本の力や市場の力に脅かされて、無力感や孤独感を味わうことになりました。世界は恐怖に満ちたものとなり、仲間との関係にも競争心が巣食い、敵意に満ちたそらぞらしいものとなりました。彼らは、果てしない恐怖に満ちた世界に、ただ一人で放り出された異邦人のように感じることになります。このような不安と懐疑に満ちた時代に、現れたのがルター主義とカルヴァン主義でした。

宗教改革における自由

ルター主義

宗教改革以前には、カトリック教では次のような考えが行われていました。すなわち、「人間の性質はアダムの罪によって堕落したが、元々は善を求めており、また人間の意志は善を求める自由を持っている。人間の努力は救済に役立ち、教会の秘蹟(洗礼・聖体・改悛などの儀式)によって人々は救われる。また人間はみな神に似ているという点で平等であり兄弟である」というものです。

これに対して、ルターは、人間の本性は生まれながらにして悪であり、背徳的であり、善を選ぶ自由が全く欠けていると説きました。人間の無力について、ルターのパンフレット『奴隷意志論』で激しく表現されている。

人間の意志は、いわば神と悪魔の中間にいる獣のようなものである。もし神がその上に宿れば、神の意志のままに意志し、動くであろう。もし悪魔が乗り移れば、悪魔の意志のままになる。どちらの乗り手の方に走るか、またどちらを求めるかはかれ自身の意志の力にはなく、乗り手自身がそれを捉えようと争うのである。

しかし、このように自らを自分の努力ではいかなる善もなし得ない、腐敗し、無力なものであると確信することが、神の恩寵が成立する本質的な条件であると主張しました。つまり、あらゆる怠慢と疑いをもった個人的自我を、徹底的な自己放棄によって取り除くならば、自己の無意味さの感情から解放され、神の栄光に参加することができるであろうというものです。

カトリック教会では、教会を個人と神を結ぶ媒介物として考えていました。ところが、ルターは教会の権威を否定し、信仰はあくまでも個人的主観的なものであるとして、個人を直接神に立ち向かわせました。つまり、人々を教会という権威から解放し、その代わりに神という、より専制的な権威に服従させたといえます。

中産階級の人々は、非常に富裕な階級と非常に貧しい階級との中間に位置するので、その反作用も複雑でかつ多くの点で矛盾したものとなります。中世末期の中産階級の多くは、法律と秩序を維持しようとしましたが、台頭する資本主義により、彼らの生活は多くの点で脅かされていました。ルターが宗教的な言葉で述べた人間像は、まさに当時の強大な資本の力の前に無力となった個人を反映しています。そして、ルターは社会に広まっていた無力感を取り上げたばかりでなく、自己を徹底的に放棄することによる救済という解決策を提供しました。このようにして、圧倒的な力を前に無力感に打ちひしがれ、生の意味を見出せなくなっている人々に新たな逃避先を提供することで、ルターの教義は中央ヨーロッパの中産階級に広く支持されることになったのです。

カルヴァン主義

カルヴァンも、ルターのように教会の権威を盲目的に受け入れることに反対し、自我を徹底的に否定し消滅させることが神の力に頼る手段であると説きました。

われわれはわれわれ自身のものではない。・・・われわれは神のものである。それゆえ、われわれは神のために生き、また神のために死のう。もし人間が自らに従って行動するならば、それは人間を破滅させる最も恐ろしい害悪であるから、自分自身で何ものかを知ったり欲したりすることなく、われわれの前を進み給う、神によって導かれることだけが、救済の訪れる唯一の道である。

カルヴァン主義がルターの教えと大きく異なった点は、神はある者には恩寵を与えることを予定し、他の者には永劫の罰を与えることを予定するという予定説を中心的な教義としたところにあります。救済か永劫の罰かは、人がこの世で善行を積んだか、悪行を犯したかの結果ではなく、人間が生まれてくる以前から神によって予定されており、神がなぜある者を選び、他の者を罰するのかは人間が探ってはならない秘密であるとされました。この予定説は、個人の無力さと無意味さ、人間の意志と努力の無価値さ、人間の根本的な不平等さ、そして神の残酷さを示しています。カルヴァン主義者たちは、素朴に自分たちは選ばれたものであり、他の者は神によって罰を予定されているものだと考えていました。信仰心のあることが選ばれたものであるという証拠だと考えていたのです。この信仰が心理的には、他の人間に対する深い軽蔑と憎悪に導くことは明らかでしょう。カルヴァンの教義に表現される人間の根本的な不平等性は、のちのナチのイデオロギーにいきいきとした形で復活することになりました。

ルターの教えと異なるもう一つの大切な点は、カルヴァン主義が道徳的努力と道徳的生活の重要性を、いっそう激しく強調する点です。これは人間の努力は救済にとって何の役にも立たないという教義と矛盾するように見えます。むしろ何の努力もしない方がふさわしいように見えます。しかし、心理学的に見るとそうではありません。不安感、無意味感を克服する唯一の道は、何かをすることです。つまり、無力感を克服するために活動するのです。このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではありません。それは不安からの死に物狂いの逃避なのです。そして努力を重ねることができるという事実、さらにはその絶え間ない努力の結果、世俗的、道徳的な成功を収めたというその事実が、神に選ばれた人間であることの証拠であるとみなされました。成功は神の恩寵のしるしとなり、失敗は罰のしるしとなったのです。

努力や仕事を目的それ自体と考えるこの新しい態度は、中世末期以降、人間に起こった最も重要な心理的変化ということができます。人々は外的な圧力というよりは、内的な強制によって、仕事に駆り立てられるようになりました。内的な強制はどのような外的な強制よりも強力です。人間が自らの奴隷監督者として、エネルギーの大部分を仕事に向けるようなことがなければ、資本主義はこれほどまでに発展できなったに違いありません。

中産階級に蔓延していた敵意

個人の無力さを強調したカルヴァンの教えは、ルターの教えと同じく、不安や無力感に打ちひしがれた中産階級の人々に訴えました。しかし、彼らは不安や無力感の他に、高位の聖職者や少数の資本家に対して激しい敵意と反感を抱いていました。それにもかかわらず、下層階級の人々と異なり、保守的な中産階級の人々は敵意を表面に表すことができず、その感情を抑圧せざるを得ませんでした。閉じ込められた敵意は、直接的に表現されないままに、パーソナリティ全体にも、他人と自己に対する関係にも大きく影響を与えることになりました。

ルターとカルヴァンは、人間の上に絶対的な権力をふるい、人間に服従と自己卑下を要求する絶対的な神を描きましたが、これは中産階級の敵意と反感が投射されたものだったのです。さらに人間の罪悪性を強調し、極度の自己卑下を説いたのは、他人や自己に対する敵意の表れです。そこで人はこの罪業を償うため快楽や幸福を断念し、たゆまない努力をしなければならないとされました。すなわち、世俗的な禁欲主義と義務感が強調されたのです。

近代人の自由の二面性

資本主義の発展と自由の増加

中世末期に生じた新しい宗教の教義は、中世的社会組織の崩壊と、資本主義の発生によってもたらされた心理的要求に応えるものでした。中世社会の伝統的な絆から解放されたことは、個人に独立の感情を与えましたが、同時に個人に孤独と無力の感情をもたらし、疑いと不安でいっぱいにし、新しい服従と強制的で非合理的な活動へ個人を駆り立てました。ここでは、資本主義社会のより高度な発達が、宗教改革時代に兆し始めた変化と同じ方向へと、人々のパーソナリティに影響を与えたことを示します。

資本主義は単に人間を伝統的な束縛から解放しただけでなく、積極的な自由を大いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献しました。このことに関して、疑問を抱く人は少ないでしょう。個人は自らの努力によって成功する機会が与えられ、自らの責任と意志で行動することが可能となりました。外界と自分自身を客観的な目で眺めるようになり、幻想的な目で眺めることは少なくなりました。誰でも自分自身の利益に従って、しかも同時に国民の共同の繁栄を考慮しつつ、行動することができると考えられるようになりました。しかしこれは、資本主義が発展する自由の過程に及ぼした過程の一つであり、それは同時に個人をますます孤独に陥れ、無力と無意味の感情を強めたのでした。

資本主義経済のもとでは、個人は完全に自分自身の足で立つことになります。何をどのようにするか、成功するか失敗するかといったことは全て個人の問題となるのです。ルターやカルヴァンの教義は、信仰を主観的なものだとして、個人をただひとり神に向かわせました。ここで表れている神に対する個人主義的な関係が、人間の世俗的活動における個人主義的な性格に対する心理的準備となったのです。

また、資本主義においては、経済的活動や物質的成功がそれ自身目的となります。経済的組織の発展に寄与することや、資本を蓄積することを、自分の幸福や救済という目的のためではなく、目的それ自身として行うことが人間の運命となるのです。人間を超えた目的に、容易く自己を服従させようというこの傾向は、実際には、プロテスタンティズムによって準備されたものでした。資本主義社会において、人間が人間を超えた目的のために活動するということは、客観的には人類の進歩に対して大きな価値を持っていますが、主観的には人間が巨大な経済的機械の歯車に過ぎないことを表し、個人の無意味さと無力の感情を強めることになりました。経済的機械の一歯車となった個人の自我の大部分は、外から予想される予想される役割によって構成され、実際には、社会におかれた客観的な社会的機能を、単に主観的に偽装したものにすぎません。だからこそ、各個人が歯車の一つでありながら同時に利己的に行動しているように見えるのです。

近代人の孤独感、無力感は、彼のあらゆる人間関係のもっている性格によって、さらに拍車をかけられることになります。市場の法則があらゆる社会的個人的関係を支配するようになり、個人と個人の具体的な関係は、直接的な人間的な性格を失い、駆け引きと手段、そして競争の精神に彩られることになりました。他人だけでなく、自分自身との関係も荒廃したものとなります。自分自身を市場における「商品」として扱い、いかにして価値を上げられるか、どのように売り込むかを考えるようになったのです。

さらに、資本が一部の経済組織に集中することにより個人の成功の機会が減少したこと、経済的情勢がよりいっそう複雑に大規模になり、個人がそれを見通す力をますます失っていることなど、数多くの要因が個人の無力感と不安を強めています。こういった不安感を抑えるのに、財産や名声や権力、さらには(それらをもたない人にとっては)家族などが役立ちました。しかし、これらは不安や無意味感を根絶させるのではなく、単に覆っただけであったので、得られる安定感は表面的なものにすぎませんでした。

自由の重荷への対処

フロムは、第一次的絆から断ち切られることを「からの自由」、あるいは消極的自由と呼びました。これが進展すると、人は無力感と孤独感に苛まれることになります。これに打ち勝つ方法は二つあります。一つ目は、「への自由」、すなわち積極的な自由に進むことです。つまり、愛と生産的な仕事により自らを世界と結びつけることです。こうして人は、再び世界や自然と一つになることができます。二つ目は、耐え難い世界から逃避することです。この方法では、恐怖や不安の感情から表面的には逃れることが可能ですが、自我の統一性を失い本質的な問題解決には至らないという欠点があります。フロムはこの逃避のメカニズムの中で社会的に重要なものとして、以下の三つを挙げています。

  1. 権威主義
  2. 破壊性
  3. 機械的画一性

逃避のメカニズム

権威主義

権威主義というのは、自我の独立性を捨てて、自己を自分の外部にある力、他の人々、制度等と融合させることです。言い換えれば、第一次的絆の代わりに「第二次的」な絆を求めることです。このメカニズムは、服従と支配、マゾヒズムとサディズムという形で表れます。一般に、マゾヒズムやサディズムは性的倒錯の文脈で扱われることが多いのですが、本書では、マゾヒズムは自分自身を小さく、弱くし、自分の外にある強力なものに寄りかかろうとすること、一方サディズムは他人を支配し思うままに操ること、あるいは他人を苦しめようとすると、快感という見地を抜きにより一般的に定義がなされています。

サディズムとマゾヒズムは一見正反対の傾向の表れのように見えますが、根本的には同一の願望の表れです。すなわち、個人には耐えられない孤独感や無力感から逃れようとする傾向の表れです。そしてサディズムとマゾヒズムの共通の目的は、他人との共棲、つまり他人と一つになることです。言い換えると、彼らは孤独感や無力感を癒すために相手と一つになり、独立した個人としては欠けていた力を得ようとするのです。このようにサディズムとマゾヒズムは本質的には同じ要求に根ざしているので、人々はサディズム的であるか、あるいはマゾヒズム的であるのではありません。他人と共棲的な関係に入ろうとする衝動が強い人は、常に能動的な側面と受動的な側面を併せ持っていて、その間を振り子のように揺れているのです。フロムは、「サド-マゾヒズム的性格」という用語は神経症や性的倒錯と深く結びついていることから、サド-マゾヒズム的な傾向が優勢な性格を権威主義的性格と呼んでいます。

ここで「権威」とは、あるものが「もっている」資質ではなく、あるものが他のものを自分より優越しているとして見上げる(人間)関係のことをいいます。フロムは権威を合理的権威非合理的権威の二つに分け、それらの差異を論じています。合理的権威は教師と生徒の関係のように、利害が一致し(教師も生徒も学力を伸ばすことを目指す)、また時間が経つにつれて両者のギャップは縮まる(生徒が学べば学ぶほど教師の学力に近づく)関係を指し、非合理的権威は奴隷所有者と奴隷のように利害が反し(一方は搾取し、他方は搾取されまいとする)、関係が長引けば長引くほど両者のギャップが拡大する関係をいいます。また前者では、その根底にある感情は愛・賞賛・感謝であり、後者では反感と敵意である。しかし奴隷の場合などでは、憎悪はほとんど勝利の機会もなく、ただ苦痛に屈服するような矛盾を導くだけです。そのため憎悪の感情を抑え、ときには盲目的な賞賛の感情に置き換えようとする傾向が生まれます。このことにより、憎悪という苦痛に満ちた危険な感情を取り除き、屈辱の感情を和らげることが可能になります。もし私を支配する人間がそれほど驚嘆すべき完全なものであるならば、彼に服従することに恥じる必要はない、というように。結局のところ、禁止的権威の場合には、憎悪か、あるいは非合理的な過大評価や賞賛が増大する傾向にあります。理性的な権威においては、権威に服従している人間が、いっそう強くなり、したがって権威にいっそう類似してくる度合いに比例して、権威は減少していくのです。

全ての権威主義的思考に共通の特質は、人生が自分自身を超えた力によって決定されているという確信です。残されたただ一つの幸福は、この力に服従することなのです。権威主義的性格の人は、行動、勇気、信念に欠けている訳ではありません。しかし彼にとってこれらの性質の意味は、服従を希望しない人間にとっての意味と全く異なっており、いずれも根本的に彼の無力感に根ざしています。権威主義的性格の人は、優越した権力に寄りかかって行動力を獲得します。また、権威主義者的性格のもつ勇気とは、本質的に、宿命や権威が決定した事柄を耐え忍ぶ勇気です。権威的性格の人は権威が強く、命令的である限り、それを信じています。しかし、彼の信念は結局彼の疑惑に根ざしており、その疑惑を補償しようとするものにすぎません。また、根本的に権威主義的性格にとっては平等という概念が存在しません。彼にとっては、この世界は力を持つものと持たないもの、優れたものと劣ったものとからできており、平等などという概念は感情的経験の及ぶところではないからです。

破壊性

破壊性とは、対象との共棲を目指すサド・マゾヒズム的な追求と異なり、対象を除去しようとするものです。破壊性もまた、耐え難い個人の無力感や孤独感に基づき、外界に対する自己の無力感は、その外界を破壊することによって逃れることができると考えます。外界を破壊することは、外界の圧迫から自己を救う、ほとんど自暴自棄的な最後の試みです。

破壊性には、自分や他人の生命、あるいは自分と一体となっている思想に対して、攻撃が加えられるとき、その攻撃に対する反作用として生ずるものです。この種の破壊性は生命を確保するために、自然に必然的に起こるものですからここでは論じません。ここで問題になるのは、人間の内に潜んでいて、機会があれば、表に飛び出してくるような一つの激情です。このような破壊性は、義務、良心、愛国心などといった形で偽装され合理化されることが多いです。またこのような破壊性は、どんな対象にも向かい、他人が破壊性の対象とならないと、破壊性は自分に向かい、病気を引き起こしたり自殺をしたりする。フロムは、個人のうちに見られる破壊性の程度は、生命の伸長が抑えつけられる程度に比例するとの見解を示しています。すなわち、破壊性は生きられない生命の爆発なのです。それゆえ、破壊性の程度は民族によっても、社会階層によっても異なります。例えば、ヨーロッパでは下層中産階級の破壊性は、労働者階級や上層階級の破壊性よりも強いものでした。カルヴァンの描いた無慈悲の神は、中産階級のこの破壊性の投射であることは先に述べました。

機械的画一性

この特殊なメカニズムは、現代社会において、大部分の正常な人々がとっている解決方法です。簡単に言えば、個人が自分自身であることをやめるのです。すなわち、彼は文化的な鋳型によって与えられるパーソナリティを完全に受け入れ、他の人々と全く同じような、また他の人々が彼に期待するような状態になってしまいます。個人的な自己を捨てて自動人形となり、周囲の何百万という他の自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感じる必要はなくなります。しかし、その大きな代価として自己の統一性を失うことになるのです。

孤独を克服する「正常な」方法が、自動人形になることであるという仮定は、私たちの文化のうちに広く受け入れられている人間観と矛盾します。私たちの大部分は自分の思うままに考え、感じ、行為する個人であるとみなされています。また各個人も自分の思考、感情、意志が「自分」のものであると考えています。しかし大抵の場合、この信念は幻想であるといいます。フロムは自身の精神分析的な知見から、本書において数多くの例証を用いて、思考や感情や意志が外部から導入されたものでありながら、自分自身のものであると容易に思い込みうることを示しています。

ここでは一つの例を挙げることにしましょう。現代社会でも見られる「マリッジブルー」と呼ばれる現象は、結婚前や結婚後の時期に不安や嫌悪感を抱いたり、気持ちが沈んでしまったりすることを指します。一般に、大抵の人は自分自身で結婚を望み、自らの意志で結婚すると考えられています。しかし、実際には自身の年齢や世間体、親からの圧力、相手を傷つけたくないという感情、あるいは今後より良い人に巡り会えるかどうかわからない不確実性など、さまざまな要因が重なって結婚を決断することになります。結婚しようという意志が、自分のものでなく、外部から導入され自らの内で合理化されたものであったという表れが、「マリッジブルー」という現象なのです。「賢明な」人間であれば、この不安感はいずれ収まります。そして、結婚は本当に自分が望んだものだったかという質問に対して、確かにそうだったと答えることになるでしょう。

このように、思考や感情や意志について、本来の行為がにせの行為に置き換えられることは、最終的には本来の自己がにせの自己に置き換えられるまで進むことになります。本来の自己は精神的な諸活動の創造者ですが、にせの自己は他人から期待されている役割を自己の名で行う代理人にすぎません。にせの自己による代置は、表面的には不安感や孤独感を和らげることができますが、根本的には解決できません。むしろ、本質的に他人の期待の反映であるため、自己の同一性を失い、抑圧された不安や懐疑は膨れ上がることになります。このような同一性の喪失から生まれてくる恐怖を克服するために、よりいっそう他人に迎合し承認されることによって、自己の同一性を求めようとすることになるのです。

ここまでのまとめ

自己が外界から分離したものであるという自覚が強まる(第一次的絆からの分離)につれ、人々は独立と自律性を獲得していくと同時に、孤独感や無力感、人生の意味に対する懐疑が強まっていきました。中世末期に新しく生じたルターやカルヴァンの教義はこの自己の無力性を反映したものであり、孤独や不安に対処するための一つの解決策を与えました。すなわち、自己を超えた存在に自らを従属させるということです。宗教改革によって準備されたこの特殊な心理的傾向を糧に——なぜなら資本主義は個人が経済という大きな機械の一つの歯車となることを求めるから——資本主義がますます発展し、個人はより自由で独立した存在となっていきます。しかし、同時に自由の重荷が個人に重くのしかかり、人々はより不安と懐疑、無力感に満ちた存在となります。

フロムはこうした自由の重荷から逃れるメカニズムとして、権威主義、破壊性、機械的画一性を挙げました。これからナチズムの心理と現代社会の様相について見ていきます。ナチズムは権威主義と破壊性が極端な形で現れた歴史的に重大な事件であり、一方、現代社会では不安や懐疑を抑えるための逃避のメカニズムとして機械的画一性が広く見受けられます

ナチズムにおける自由

第一次世界大戦後の中産階級の心理

ナチのイデオロギーに最も共鳴したのは、小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者からなる下層中産階級でした。ナチのイデオロギーがなぜそれほど下層中産階級に訴えたのかという問いに対する答えは、彼らの社会的性格のうちに求めなければなりません。彼らの社会的性格は、貴族階級・労働者階級・上層中産階級のそれとは大きく異なったものであり、歴史を通して、強者への愛弱者に対する嫌悪小心敵意けちくささ禁欲主義といったものに彩られていました。彼らの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を道徳的公憤として合理化していました。

下層中産階級に共通して見られたこれらの性格は、第一次世界大戦前から変わりませんでしたが、ナチのイデオロギーが強く訴えていった服従の追求と権力への渇望は戦後の諸事件で強められることになります。戦前、個人の社会的経済的な地位には、なお自らの自尊心と安定感を与えるだけの強固さがあり、個人が寄りかかっていた君主制の権威は、個人的地位によっては与えられないような、より多くの安定性を与えるだけの強さを持っていました。しかし、第一次世界大戦後、この状態は大きく変化することになります。

まず第一に、敗戦と君主制の崩壊が彼らの生活の基盤を大きく揺るがしました。皇帝が公然と嘲笑され、士官が攻撃されたとき、また国家がその形態を変え、馬具師を大統領として認めなければならなかったとき、君主の権威に絶対的な信頼をおいていた小市民は何も信じることができなくなりました。

さらに、下層中産階級の経済的地位と社会的威信も大きく衰退しました。1923年に頂点に達したインフレーションと、1929年に始まった恐慌によって、彼らの経済的地位は、激しい打撃を受けました。快楽を犠牲にして長年かかってためたお金が、パン一斤も買えないほどの貨幣価値になったとき(1920年に1ドル4マルクだったものが、1923年には1ドル40億マルクとなった)、彼らは何を信用すればいいのかわからなくなりました。

こうして下層中産階級の恨み、憤り、無力感、不安感は増大していきました。この社会的不満は外部に投射され、ヴェルサイユ平和条約は不正だという声になりました。平和条約に対する憤りは、下層中産階級には強かったが、労働者階級ではそれほど強くありませんでした。なぜなら、労働者階級はそれによって政治的、社会的地位が向上したからです。労働者階級の地位の向上の結果、下層中産階級の威信は相対的に低下しました。その結果、彼らは見下すべき人がいなくなり、このことがまた彼らの不満を増大させることになりました。

以上のような心理的条件は、ナチズムの直接的な原因ではありませんでしたが、このような心理的条件がなければナチズムは発展することはできませんでした。ナチズムの勃興と勝利を全面的に分析しようとするなら、政治・経済的な諸条件も分析する必要があります。しかし、彼は本の性質上、それについては、工業家とユンカーの役割を指摘するにとどめました。

ナチズムの心理

次にフロムは、ヒトラーのパーソナリティとその教説およびナチの組織が、我々が「権威主義的」と呼んだ性格構造の一つの極端な形態を表現し、またまさにこの事実によって、ナチズムがヒトラーと多かれ少なかれ同じ性格構造をもった民衆に強く訴えたということを示しています。分析の主要な資料として、フロムはヒトラーの自叙伝『我が闘争』を利用しました。ヒトラーは権威主義的性格の極端な形を示しています。これは、先に述べたように、サディズム的衝動とマゾヒズム的衝動の同時的存在です。

ナチのイデオロギーにおけるサディズム的傾向

サディズム的傾向は『我が闘争』の随所に見られます。彼は大衆を典型的なサディズム的な方法で軽蔑し「愛する」のです。彼は大衆が支配のうちに味わう満足について、次のように語っています。

弱い男を支配するよりは強い男に服従しようとする女のように、大衆は哀願するする者より支配する者を愛し、自由を与えられるより、どんな敵対者も容赦しない教義のほうに内心でははるかに満足を感じている。大衆はしばしばどうしたらよいか途方に暮れ、たやすく自分たちは見捨てられると感じる。彼らは厚顔無恥な精神的テロや、人間的自由をしゃくにさわるほど侵害されていることに気づいていない

大衆が欲するのは強者の勝利と弱者の殲滅あるいは無条件降伏である

「指導者」に支配された大衆もサディズム的満足を享受することができました。ドイツ内の人種的政治的少数者や、弱小であるとか衰亡しつつあるとかとされる他の諸国民が、大衆を満足させるサディズムの対象となったのです。大衆は世界征服の野望に駆り立てられるように教えられます。

人種的混濁の時代に、自己の最良の人種的要素を保存することに献身する国家は、いつか世界の主人となるに違いない。

ヒトラーは、工業や軍隊の指導者など力を持っている者は尊敬し、一方力のない者は軽蔑しました。例えば、彼はワイマール共和国は弱体であるがゆえに嫌悪し、強力な大英帝国をあえて攻撃しようとしたインドの革命家を軽蔑していました。ヒトラーはイギリスが強力と感じられる間は、イギリスを愛し賛美していました。ところが1938年ミュンヘン会談で、当時のイギリス首相チェンバレンが、対独宥和政策をとり弱腰を示して以来、ヒトラーのイギリス賞賛はイギリス嫌悪と攻撃に変わりました。ここに、ヒトラーの権威主義的性格が遺憾無く発揮されています。

また、ヒトラーは自らの権力欲を合理化し正当化していました。主な正当化は次のようなものです。すなわち、彼の他国民支配は他国民全体の福祉のためであり、世界の文化の繁栄のためであるとか、彼自身はより高い力——神、運命、歴史、自然——の命令のもとに行動しているとか、また彼の支配計画は他民族が彼やドイツ国民を支配しようとする企図に対する単なる防衛であるというのです。彼はただ平和と自由を望んでいるだけだったといいます。

ナチのイデオロギーにおけるマゾヒズム的傾向

ナチのイデオロギーのマゾヒズム的傾向は、大衆を見ると最も明らかです。大衆は繰り返し繰り返し、個人は取るに足りないものだと聞かされます。個人は自己の無意味さを認め、自己をより高い力の中に解消して、このより高い力の強さと栄光に参加することを誇りにしなければならないのです。ヒトラーは理想主義の定義の中で、この考えを明白に表現しています。

理想主義だけが、人々に力と強さの特権を自発的に承認するようにさせ、また人々を全宇宙を形成するあの秩序の中の一片の塵にさせる

個人を犠牲にし、個人を一片の塵、一個の原子に貶めることは、ヒトラーによれば、人間の個人的な意見や利益や幸福を主張する権利を放棄することを意味します。ヒトラーによれば、自己を主張しないように個人を教育することが教育の目的となります。学童は「正当に叱責されたときに沈黙するだけでなく、必要な場合には不正をも黙って耐えることを学ばなければならない」のです。

ヒトラーはまた、マゾヒズムの基調をなす無力感や孤独感を鋭く見抜き、それを進んで利用しようとしました。

新しい運動の支持者になろうとするとき、個人は孤立的な感じがして、自分一人でないかという恐怖にとらわれがちである。彼は大衆的集会ではじめてより大きな同志の集まりを見て、たいていの人を力づけ勇気づけるものを受け取るのである。このような理由だけからも、大衆的集会は必要である。

マゾヒズムへの憧れは、ヒトラー自身にも見られます。ピラミッドの頂点にいるヒトラーにとって、服従すべき優越した力は、神・運命・必然・歴史・自然でした。これは、『我が闘争』の至る所で見られます。

運命が私の生誕地としてイン河畔ブラウナウを指定したことは、私にとって幸運であった。

(他民族と混血することは)永遠の創造者の意志に反した罪を犯すことに他ならない。

ナチズムの心理のまとめ

以上述べたことから、ヒトラーは、弱いものを支配したいという願望と圧倒的に強い外部の力に服従したいという憧れを持っていたことがわかります。これはまたナチのイデオロギーでした。このイデオロギーはヒトラーの性格構造からきたものであり、このイデオロギーが下層中産階級の人々に訴えたのは、彼らがヒトラーと同じ性格構造を持っていたからでした。しかし、下層中産階級を満足させたのはナチのイデオロギーだけではありませんでした。ナチの政治が、イデオロギーが約束したことを実現していきました。一つの階層制度がつくられ、すべての人が自分の上に従うべきものをもち、自分の下に支配できるものをもつようになりました

ナチズムに代表される権威主義的なイデオロギーと実践の機能は、神経症的徴候の機能に比較することができます。このような徴候は耐え難い心理的条件の結果であり、同時に生活を可能にする解決を提供します。けれどもそのような徴候は、パーソナリティの幸福や成長を導く解決ではありません。共棲への逃避は、しばらくの間は苦痛を緩和することができますが、苦痛を除去することはできないのです。

現代社会における自由

機械的な画一性の進行

近代人に対する自由の二面性を論じたとき、現代において、個人の孤独と無力を増大させている経済的諸条件を指摘しました。すなわちその心理的結果を論じて、この無力は権威主義的性格にみられる一種の逃避を導くか、あるいは孤独となった個人が自動人形となり、自我を失いしかも同時に意識的には自分は自由であり、自分にのみ従属していると考えるような強迫的な画一性に導くことを示しました。そしてフロムは、私たちの文化はこの画一性の傾向を促進していると主張します。ここではいくつかの具体的な根拠を示しましょう。

子供は教育の早い時期に、まったく「自分のもの」でない感情を持つように教えられます。特に他人を好むこと、無批判的に親しそうにすること、また微笑むことを教えられます。もしあなたが微笑していないならば、「感じの良いパーソナリティ」を持っていないと判断されるかもしれません。確かに、人は単にジェスチャーをやっているに過ぎないと気がついていることもありますが、一般的にその意識を失っており、ひいてはにせの感情と自発的な親しさとを区別する能力を失っています。にせの感情を積み重ねる結果、抹殺されるのは、単に親しさだけではありません。自発的な感情が広く抑圧され、にせの感情に置き換えられるようになってしまうのです。

同じような歪みは、感情だけでなく独創的な思考にも起こります。教育のそもそもの発端から、独創的な思考は阻害され、既製品の思想が人々の頭にもたらされます。より多くの事実を知れば知るほど、真実の知識に到達するという悲しむべき迷信が広がり、何百というバラバラな無関係な事実が学生の頭に詰め込まれます。彼らの時間とエネルギーは事実をより多く学ぶために費やされ、ほとんど考える暇はありません。確かに、知識のない思考は空虚なものとなりますが、しかし「情報」だけでは、情報がないのと同じように、思考にとっては障害となります。

感情と思考における「独創性」の欠如について述べたことは、意志についてもいうことができます。近代人はどちらかといえば、あまりにも多くの欲望を持っているように思われ、彼の唯一の問題は、自分が何を欲しているかは知っているものの、それを獲得することはできないことであるように思われます。私たちの全精力は、私たちが欲するものを獲得するために使われます。しかも大部分の人は、この行為の前提、すなわち彼らが自分の本当の願望を知っているという前提を疑問に思うことはありません。フロムは次のように言っています。

かれらは自分の追求している目標が、かれら自身欲しているものであるかどうかということを考えない。かれらは学校ではよい成績をとろうとし、大人になってからは、より多くの成功、より多くの金、より多くの特権、よりよき自動車を求め、あちらこちらに移動し・・・などしようとしている。しかもこのまったく狂おしい行為のただなかで立ちどまって考えるならば、次のような疑問が心に浮かんでくる。「もしこの新しい職を得たならばもしこのよりよき自動車を得たならば、もしこの旅行をすることができたならば——それはいったいなにごとであろうか。それはどんな役に立つのだろうか。これらの疑問は、一旦起きると驚くべきものとなる。というのはそれらは人間の全活動を支える土台そのもの、すなわち、かれの欲するものについての知識を問うているからである。したがってひとびとはできるだけ早く、これらのわずらわしい考えから逃れようとする。かれらはこれらの問題に疲労と抑圧を覚えるので、それをわずらわしく感ずる。そしてかれらは自分自身のものと思い込んでいる目標を追っていく。

『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、p.277

上で述べたことは、現代人は自分の欲することを知っているという幻のもとに生きているものの、実際には欲すると予想されるものを欲しているに過ぎないという真実を漠然ながら表しています。このことを認めるためには、自分が本当に何を欲しているのかを知るのは、多くの人が考えるほど容易なことではないこと、そしてそれは、人間が誰でも解決しなければならない最も困難な問題の一つであることを理解する必要があります。しかしそれは、我々がレディ・メイドの目標を、あたかも自分の目標と考えることによって、遮二無二避けようとしている事柄なのです。

近代人は「自分のもの」と予想されている目標を達成しようとするとき、大きな危険をも避けようとはしない。しかしかれは、自分自身にたいして自らの目標を与える危険と責任は、深く恐れてとろうとしない。

『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、p.278

近代史が経過するうちに、教会の権威は国家の権威に、国家の権威は良心の権威に交替し、現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交替しました。私たちは古いあからさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がついていません。私たちは自ら意志する個人であるという幻のもとに生きる自動人形となってしまっているのです。この幻想によって個人は表面的には自らの不安を意識しないですんでいますが、根本的に個人の自我は弱体化し、そのため無力感と極度の不安感を抱えることになります。つまり、個人は自分が住んでいる世界と純粋な関係を失い、他者から予想される通りに考え・感じ・意志することで、自由な個人としての純粋な安定の基盤である自我を喪失しているということです。

この自我の喪失の結果、いっそう順応することが強制されるようになります。風変わりにならず、他人の期待に順応することによって、自己の同一性についての懐疑は静められ、一種の安定感が与えられるからです。しかし、その払う代価は高価です。自発性と個性を放棄することは生命力の妨げとなります。心理的に自動人形であることは、たとえ生物学的に生きていても、感情的・精神的には死を意味します。現代人は表面には満足と楽天主義を装っていますが、その背後では深い不幸に陥っているといえるでしょう。

積極的な自由への道——自発性

これまで、第一次的絆から断ち切られ、個性化の過程が進展するとともに、個人はますます孤独になり、自らを無力で無意味な存在であるという感情を強めていくこと、そしてその結果、個人は新たな権威に服従したり、他者の期待の反映となりきることなどによって、耐え難い世界から逃れようとすることを見てきました。しかし、フロムは本書の最後に、個人が独立した自我として存在しながら、しかも孤独ではなく、世界や他人や自然と結び合っているような、積極的な自由の状態が存在すると述べています。

このような自由は、全的統一的なパーソナリティの自発的な行為のうちに存在します。自発的な行為とは、個人が孤独や無力によって駆り立てられるような強迫的なものでも、外部から示唆される型を、無批判的に採用する自動人形の行為でもありません。自発的な活動は自我の自由な活動であり、心理的には自らの自由意志による活動のことをいいます。

現代の社会では、芸術家や小さな子供たちは自発性がみられる最たる例だといえます。彼らは本当に自分のものを感じ、考える能力を持っています。また、私たちの大部分は、少なくともある瞬間には、私たち自身の自発性を認めることができます。それは同時に純粋な幸福の瞬間です。一つの風景を新鮮に自発的に知覚するとき、ものを考えているうちにある真理がひらめいてくるとき、また他人に対して愛情が湧き出るとき——このような瞬間に私たちは自発的な活動とはどのようなものか知ることができるでしょう。

自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲にすることなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道です。というのは、人は自我の自発的な実現において、自分自身を新しく外界に——人間、自然、自分自身に——結びつけるからです。

愛はこのような自発性を構成する最も大切なものです。しかしその愛とは、自我を相手のうちに解消するものでも、相手を所有してしまうことでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我に確保の上に立って、個人を他者と結びつけるような愛です。愛のダイナミックな性質はまさにこの両極性のうちにあります。すなわち愛は分離を克服しようという要求から生まれ、合一を導き、しかも個性は排除されないのです。

仕事も自発性を構成する一つの要素です。しかしその仕事とは、孤独を逃れるための強迫的な活動としての仕事ではなく、また自然との関係において、一方では自然の支配であり、一方では人間の手で作り出したものに対する崇拝や隷属であったりするような仕事でもなく、創造的行為において、人間が自然と一つとなるような、創造としての仕事のことを指します。

愛や仕事についていえることは、官能的快楽の実現であれ、共同体の政治的生活への参加であれ、すべての自発的な行為についていえます。それは自我の個性を確保すると同時に、自我を人間や自然に結びつけます自由に内在する根本的な分裂——個性の誕生と孤独の苦しみ——は、人間の自発的な行為によって、より高い次元で解決されるのです。

本記事のまとめ

第一次的な絆からの分離が進むにつれ、人間は独立と自律性を獲得すると同時に、孤独で無力感に苛まれた不安な個人となっていきます。何かに寄りかかり安定を得ることができなくなり、自分一人で強大な世界と向き合う必要が出てくるからです。

こういった不安で孤独な個人の状態を反映し、解決策を提供したのが、中世末期の宗教改革によって新たに現れたルターとカルヴァンの教義でした。自己の無意味性を心から承認し自我を徹底的に放棄することで、神の恩寵を得ることができると教えました。特にカルヴァンの教義に顕著に表れる、自己を超えた目的に自己を容易に従属させようという心理的傾向と禁欲主義は、資本主義の発展の重要な心理的基盤となりました

宗教改革によってもたらされた心理的準備をもとに資本主義がより発達するにつれ、人間関係も競争の精神に彩られ空虚さを増し、ますます個人は自由になるとともに孤独で無力な存在になっていきます。その結果、多くの人々が自由の重荷に耐えきれず、自由を自ら捨て新たな権威へ服従することによって、安定を手に入れようとした歴史的に重要な出来事がナチズムだったといえます。一方、他者の期待の反映に完全になりきることによって孤独を感じないようにしようとするのが現代社会に非常に広く見られる機械的画一性という逃避のメカニズムです。これらの解決方法は、表面的には不安や孤独感を抑えるかもしれませんが、根本的な解決となっておらず抑圧された不安感は、何らかの不幸へと形を変えて表出することになります。

フロムは本書の最後に、この自由に内在する根本的な分裂——個性の誕生と孤独の苦しみ——を乗り越えるための積極的な方法が存在することを示唆しました。それは、愛や生産的な活動といった自発的な行動を通して、自己を他人や自然と結びつけるという解決方法です。

この自発的な活動といった概念は、本書の続編『人間における自由』(1947) においてより深く議論がなされています。また、自発的な活動を構成する最も大切な概念である「愛」に関しては、1956年に出版された『愛するということ』で、より深く掘り下げられています。いずれの書籍も今後このブログで解説しようと考えています。

最後に

本記事では、『自由からの逃走』におけるフロムの主張をできる限りわかりやすく解説を試みました。同時に、フロムの主張をできるだけ誤解なく伝えたいとの思いから少し長い文章となってしまいました。この記事が、皆さんの理解の助けとなれば、また生き方のヒントに少しでもなれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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