第6章では、万物生成の無限のはたらきを、女性の生殖の神秘になぞらえて詩的な押韻文で表現しています。「道」ということばは出てきていませんが、「道」のはたらきと同じものを語っているのはいうまでもありません。
第6章
谷間の神は奥深いところでこんこんと泉を湧き起こしていて、永遠の生命で死に絶えることがない。それを玄妙なる牝という。玄妙なる牝の陰門、これを天地の根源という。永遠に存在し続けるかのように、そのはたらきは尽き果てることがない。
谷神は死せず、是れを玄牝と謂う。
玄牝の門、是れを天地の根と謂う。緜緜として存するが若く、これを用いて勤(尽)きず。
谷神不死、是謂玄牝。
玄牝之門、是謂天地之根。緜緜若存、用之不勤。
解説
(谷神は死せず、是れを玄牝と謂う。玄牝の門、是れを天地の根と謂う。)
(谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地之根。)
「谷神」の「谷」を「穀」の借字とみて、生成長養の神とする説もありますが、文字通りに谷の神と解釈する方がよいでしょう。「谷」は空虚で奥深く、低く窪んで水が流れる場所のことを指すので、『老子』では、しばしば徳の形容として用いられるからです(第15章、第41章など参照)。「玄」は第1章で「玄のまた玄」とあったのと同様、うす暗くて測り知れないほど深いありさまを表現しています。「牝」は女性であり母性、生殖性を表します。「玄牝」は、「谷神」が尽きることなく万物を生み出すさまから「牝」であり、その作用の奥深さは測り知れないから「玄」で形容したものです。また「玄牝の門」は女性器そのものを指します。
(緜緜として存するが若く、これを用いて勤(尽)きず。)
(緜緜若存、用之不勤。)
「緜緜」は、ぼそぼそと、ずっと続いて絶えないさまを表します。「緜」には柔弱の意味もあり、玄牝のイメージと呼応しています。「存するが如く」は、存在しているが、はっきりとは見えないさまをいいます。王弼は「存在していると言おうと思えば、その形が見えない。存在していないと言おうと思えば、万物はそこから生まれてくる。だから、ぼそぼそと存在しているようなものだ」と注しています。また、「緜緜」を「昏昏」の借字であって、「冥冥」の意味だとする説もあります。この場合、「緜緜として存するが若く」は「はっきりしないおぼろげなところに何かがあるようで」と解釈できます。
「勤」は「労」や「尽」の意味です。「勤きず—尽き果てることがない」と読んだ最後の言葉は、王弼の注にしたがって「労れず」と読むことも可能です。しかし、ここでは天地の生成作用が限りなく続くことを表しているので、「尽」の意味に解釈しています。
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