本記事では、私たちの行動、思考、感情が無意識の強力な影響を受けているという事実をもとに、なぜあなたは決心するだけでは容易に変われないのかを明らかにする。そこから、私たちが変わるために本当に断たなければいけない習慣は、「あなたであるという習慣」であることを導く。拙稿「思考と感情のループ」と関わりの強い内容となっている。ぜひそちらも参考にされたい。
経験を伴わない知識は哲学にすぎない。知識を伴わない経験は無教育だ。
ジョー・ディスペンザ(2015)「あなたという習慣を断つ」東川恭子訳 ナチュラルスピリット
いかに身体と意識が一体となるか
神経科学には「ヘブの法則」というものがある。簡単にいうと「ともに発火する神経細胞同士は結合を強める」というものだ。何度も同じ一連の神経細胞を発火させ続けていると、神経細胞間の静的な経路ができ、一連の神経細胞の結合が強まる。これは脳の中で起こっている記憶の基礎現象だと考えられているものだ。こうしてしばしば繰り返される思考や行動、感情などは無意識で自動的な習慣となっていく。同じ考えばかり巡らせ、同じ行動ばかりして、同じ感情を抱けば、脳の習得回路はあなたの限定的な現実をそのまま投影した限定的な回路として強化されていく。それに沿って同じ意識で一瞬一瞬を生き続ける方がずっと簡単で自然となっていく。
あなたが人生でいくつかの困難を経験し、苦しみを味わったとしよう。その辛い記憶は今でも思い出すと、その当時の場面が想起され、そのとき感じた感情が鮮明に蘇る。当時の状況が頭に思い浮かべば浮かぶほど、その状況とそれに付随した感情がより簡単に、ほとんど自動的に再現できるようになる。すなわち、一連の神経細胞間の結合がますます強化されていく。さて、あなたが苦しみについて考えては感じ、感じては考えるというこのサイクルを、数十年間繰り返したらどうなるか想像してほしい。
実際あなたは過去の出来事をいちいち思い出さなくても、その感情を抱くようになる。いつも通りの感情以外の考えに基づいて行動することは不可能になる。繰り返し想起される思考と感情(苦しみを感じた出来事やその後の出来事なども含め)により、あなたは苦しみの体験をすっかり暗記している。こうしてあなたの自分像と人生は、被害者感情と自己憐憫によって色付けされていく。数十年間にわたり同じ思考と感情と付き合っていたおかげで、あなたの身体は意識的に何も考えなくても苦しみの感覚を覚えている。ここまで来ればそれはごく自然なノーマルモードとなっている。それはあなたそのものだ。ここであなた自分を変えようとしても、その道は常に元いた場所に舞い戻り、慣れ親しんだ自分に逆戻りしてしまうだろう。
ほとんどの人は気づいていないが、何か感情が高ぶる状況に遭遇するとき、私たちの脳はそれ以前の同等の経験と全く同じ順番とパターンで発火する。こうして前回と同じ回路を補強して、さらに盤石なネットワークが形成される。脳と体内に(程度の差によって量は異なるが)全く同じ化学物質を作り、あたかも以前と同じ経験をしているかのような状態になる。これを繰り返すうちに、化学物質は身体にこの感情を記憶させるように働きかける。思考と感情が誘発した化学物質、感情と思考、そしてニューロンにスイッチが入り連結するといった一連の動きにより、意識と身体は限定的な自動プログラムに従って作動するようになる。
人の一生の中で私たちは過去の体験を何千回と生きることが可能である。こういった無意識の繰り返しは意識と同等あるいはそれ以上の影響力で、身体に特定の感情の状態を記憶させていく。意識より先に身体が反応するようになるとき、身体は意識そのものとなり、それを習慣と呼ぶ。
召使いが主人となるとき
身体が無意識の思考母体となり、身体イコール意識となっている状況下での行動に、顕在意識の存在意義はほとんどなくなることは容易にわかる。何かを考え、感じ、反応した瞬間に身体が自動プログラムを作動させる。言ってしまえば、私たちは意識を失った状態にあるのだ。
近年の脳科学では、私たちの行動の95%は無意識によって自動化されたプログラムであることがわかっている。言い換えれば、わずか5%しかない顕在意識が、自動プログラムを操縦している95%の無意識に必死に立ち向かっているのだ。ある人が意識的に幸せで健康で自由になりたいと願っても、苦痛と自己憐憫の化学物質のサイクルを幾度となく繰り返していれば、身体は習慣的に苦しみモードでいることを暗記していることになる。どれだけ顕在意識が変わろうと決心しようとも、苦痛と自己憐憫に彩られた自動プログラムがあなたの95%の行動・思考・感情を支配している限りは、根本的な変化は生じない。自分が今何を考えているか、しているか、感じているかを意識しないとき、私たちは習慣で生きている。私たちは無意識になる。
実のところ身体は意識の召使いだ。しかし、身体が無意識の思考母体となったとき、身体は召使いであることをやめて主人となる。かつての主人(顕在意識)はスリープモードに入る。意識はまだ身体を支配しているつもりかもしれないが、身体は記憶された感情に匹敵する決断に大きな影響を与えている。覚醒している5%が無意識の自動プログラムに逆らうとき、95%は非常に反射的になる。ほんの一瞬の迷いや、外界からのちょっとした刺激に対し、自動プログラムを回し始めるのだ。そうして元の古い、変わり映えのしない、同じような思考・行動を繰り返す自分に戻ってもなお、何か違うことが人生に起きてほしいと期待している。
顕在意識がコントロールを取り戻そうとするとき、身体は脳に信号を送って意識の目指すゴールを諦めさせようとさせる。いつも通りの意識の状態の習慣からはみ出るべきじゃない、いつもと違うことをするべきでないなどと、逆らう根拠をずらりと並べ立て、私たちの内面では葛藤が起きる。身体は意識の弱点を知り尽くしている上に助長までしてきたため、弱みを一つ残らずついてくる。私たちは心の中に最悪のシナリオを思い描き、慣れ親しんだ感情の枠内にとどまれるようにする。なぜなら第二の天性となっている体内の化学物質の秩序を乱すと、身体は予測がつかない混沌とした状態に陥るから。身体の内なる声はくどくど文句を言い、私たちは多くの場合耐えきれなくなって身体に屈服する。
無意識に介入して自動プログラムを書き換える
これまで、私たちはなぜ容易に変わることができないのかを取り上げた。人生を通して構築・強化されてきた無意識の自動プログラムは、意識的な決心だけでは書き換えることができない。しかし、人類の偉人たちは長い歴史を通して、この無意識のプログラムを書き換えるためのさまざまな手法を確立させてきた。それは、キリスト教などの西洋の宗教においては祈りという形で、仏教などの東洋の宗教においては瞑想という形で表れている。
特に近年、瞑想はマインドフルネス瞑想などといった名前で呼ばれ、その効果が科学的に検証されるに伴い、ますます注目されようになっている。書店に行っても、マインドフルネスについて書かれた本がよく目につくようになったと感じる方も多いことだろう。なぜ瞑想によって無意識のプログラムを書き換えることができるのか、さらに最も効果的に無意識に介入する瞑想手法などについての説明は、本記事の範囲を越えることになるので、詳細な記述は稿を改めることにする。
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